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LIGHTS UP IWATE インタビュー

特別対談インタビュー
いわてグルージャ盛岡 秋田豊 監督 × 岩手電力代表 笠井健

鹿島の成功モデルを岩手の地で。 勝利、そして地域との連係が シンボルになるための鍵となる。

日本代表としてワールドカップも経験した秋田豊さんが、いわてグルージャ盛岡の新監督に就任。いわてグルージャ盛岡が鹿島アントラーズのような成功モデルを築くため、そして岩手のサッカーシーンを盛り上げるためになにをすべきか。今回は、岩手電力の代表である笠井健との対談形式でお届けします。

 

▼岩手のサッカーに対する印象
―まずは岩手のサッカーについての印象についてお聞かせください。

秋田監督「小笠原満男とは鹿島でずっと一緒にやっていましたし、盛岡商業の平聡コーチ、そして長く盛岡商業で指導された齋藤重信先生とも親交がありました。また、復興支援で何度も足を運んでいたこともあって、こちらにくる不安はありませんでしたし、自分の中で岩手は近い存在ではありましたね。」

―秋田さんが監督に就任するという一報を知ったとき、笠井さんはどんな思いでしたか?

笠井「選手としての実績は抜群ですし、まさかこんな方が岩手に来てくれるのかという驚きがありました。秋田さんが現役時代に在籍していた鹿島アントラーズは、地元の方一人一人に支援されて成長してきたクラブです。まさに地域一帯となって大きく成功したクラブだったので、岩手でも同じようなことが起きるかも、これはすごいことになるぞ、と期待していました。」

▼勝利から逆算したプレーでJ2昇格を手繰り寄せる
―今季の目標、メンバー編成について教えてください。

秋田監督「目標はJ3優勝、J2昇格です。J3では1位と最下位の力の差が大きいわけではなくて、決定機を決め切れるか、あるいは防ぎきれるかが大きなポイントとなります。攻撃ではセットプレーも含めて得点が取れる選手、守備では組織的に守れる選手を基準として編成し、トレーニングしてきました。」

―サポーターはどのようなサッカーをみせてくれるかにも注目しています。

秋田監督「基準は『勝つ』ということ。例えばポゼッションサッカーをしようとしても相手のレベルが高くてつなげない場面というのは出てくると思います。その場合、勝つためのサッカーはポゼッションすることではなくなりますよね。状況に応じながら、勝利から逆算したプレーを個人、チームが判断して勝点3につなげていきたいです。」

 

▼岩手電力×いわてグルージャ盛岡のサッカー教室を開催
―6月7日にはいわてグルージャ盛岡の選手、監督がサッカー教室を行いました。開催の目的について教えてください。

笠井「岩手電力は電力の供給を通じて、収益を活用して地域の次世代を支える子どもたちを育て、守るために、スポーツやこども食堂、医療的ケア児、子供の防災といったテーマで様々な社会貢献活動を行っています。今回はその中で、サッカー少年を支援する活動として企画しました。今年は新型コロナウィルスの影響で、サッカー少年の親御さんからで、『子どもたちはサッカーをやりたそうだが、今はサッカーをしちゃいけないような空気があるので我慢をさせている』という声を多く聞きました。岩手県は感染者がゼロで他県からの移動も制限されていた時期ですし、子どもたちにサッカーの楽しさを思い出してもらってのびのびとプレーしてもらうこと、そして新しくなったいわてグルージャ盛岡というチームを子どもたちに知ってもらいたいという思いで感染防止対策を十分にしたうえで開催しました。」

―当日、サッカー教室の様子はいかがでしたか?

秋田監督「最初に『いわてグルージャ盛岡の試合を観に来てくれる人?』と問いかけたらだれ一人手を挙げなかったんですよ。これは致し方ないなと思いながら、教室が終わった後にもう一度同じ質問をしたんです。そしたら半分以上の子どもたちが手を挙げてくれて。このサッカー教室を通して知ってもらうきっかけになったので非常に良い機会になったと思いました。」

笠井「次世代の子どもたちの可能性を広げようというのが当社の活動の基本方針ですので、今後も機会をつくることや、地元の指導者の役に立てること、また地域と地元のプロクラブをつなぐ橋渡し的な役割を担っていきたいと考えています。」

秋田監督「サッカースクールはコストがかかってくるので、子どもたちに夢を与えるというのはプロスポーツ選手の役目だと思うんですけど、橋渡しをしてくれる企業がないと実際に行えないんです。今回、コラボできたのは非常に大きな機会だったと思いますし、一回じゃなくこれからも一緒に何かをやってスポーツの大切さや喜びなどを少しでも感じてくれる子どもが増えることを期待しています。」


(写真:社会貢献活動レポートより)

▼いわてグルージャ盛岡が岩手の誇りになるために
―いわてグルージャ盛岡の役割、使命はどこにあると考えていますか?

秋田監督「シンボルにならなければいけないと考えています。いわてグルージャ盛岡が強くなって岩手の誇りになっていくこと、それが一番大きな使命だと思います。強くなることで『僕もグルージャに入りたい』という子どもが次々に出てくるようなクラブになることが大切です。」

―シンボルになるためにやるべきことはなんでしょうか?

秋田監督「本当にいろいろあります。例えば、育成組織のシステムや住環境や練習環境、人を育てるクラブになること、クラブ自体のさらなる向上などもそうです。ただ、その前提としてトップチームが結果を出してJ2、J1に上がっていくことがあります。盛岡商業高校を全国優勝させた齋藤重信先生、Jリーグでも日本代表でも活躍した小笠原満男は誰しもが知る存在だと思います。今度はグルージャがそういう存在になっていかなければなりません。」

▼岩手が鹿島に学び、地域のシンボルになるために、勇気を持ってトライする
―秋田さんがプレーされていた鹿島アントラーズはJ参入後、どういう変遷で常勝軍団となっていたのでしょうか?

秋田監督「Jリーグ発足前はトップリーグのレベルにないチームだったんですけど、その後、ジーコが加わり、彼がプロとはこういうものなんだということを伝え示してくれたことで今の鹿島アントラーズがあると思います。」

笠井「鹿島アントラーズでの体験はいわてグルージャ盛岡にとってすごくヒントになるのではと思います。当時の鹿嶋町は人口4~5万人ほどで交通の便も良いわけでもなく、町の特色も薄い場所でした。それが突如、『サッカー』をキーワードにして人々が熱狂する空間ができました。サッカーで町が変わったというJリーグ随一の成功モデルとなったわけです。盛岡は人口も多く、地域と一体になって取り組めば、同じようになれる可能性はあると思います。少し先を見据えたグルージャの可能性について、秋田さんの考えをお聞かせいただきたいです。」

秋田監督「グルージャが岩手の心の支えになることが理想です。岩手だからこそ、他ではできないことがあると思っています。将来的な夢は盛岡駅から徒歩圏内の場所にスタジアムを完成させることです。日本全国、そんなスタジアムは1つもありませんし、間違いなく集客にも大きく影響します。もちろん、ハードルは低くありません。でも鹿島の例を挙げると、アントラーズがJリーグ発足時の10チームに入るなんて99.9%ないと思われていた中でも勇気を持っていろいろなことにトライしたからこそ、その下馬評を覆すことができたのです。県を挙げて一緒に戦ってくれたこともあり、初年度の1stステージでの優勝も非常に大きいものでした。」

―チームが変わる、結果を出すに連れて、町や地域はどのように変わっていったのでしょうか?

秋田監督「鹿嶋では車にアントラーズのステッカーが貼ってあるのが当たり前です。ユニフォームにしても東京駅から誇らしげに着てきます。町や駅にもタペストリーやフラッグがあるのが当然。そんなクラブになるために価値を表現していくことが第一です。それから1993年、Jリーグが開幕した当初は暴走族がすごくうるさかったんです。でも、チームが勝つようになるとだんだん静かになっていったんです。彼らがサポーターになって、発散の仕方を変えたということでしょう(笑)。」

▼クラブをコミュニティの母体にする
―鹿島の成功事例を踏まえて、岩手ではどのようなことから取り組んでいますか?

秋田監督「まずは知ってもらうことです。表敬訪問、スクールなどを通して認知してもらうことと、何よりも勝つことですね。そういう姿を見せる中で、グルージャのアカデミーを目指したいという子どもが増えることを期待していますし、寮などの生活環境、そしてグラウンドなどの練習環境の整備にも取り組み始めています。地元の選手が他県に流出せず、グルージャアカデミーに入りたいという未来につなげたい。そして彼らがトップ昇格を果たして、チームに地元出身の選手が多く在籍するのが理想なので、そのためにも存在感を増していきたいと思います。」

笠井「私たちも人と人とをつなぐメディアとしての役割を意識しています。岩手にはこれまで、特徴のある文化や地域、個性ある人材がいても、それが町を越えてつながっていなかった分野がたくさんあります。しかし、スポーツは岩手の中で、町を超えて盛り上がり、人々がつながることができる特別なものだと思います。
いわてグルージャ盛岡がチームとしても強くなり、将来を見据えて地域の子どもたちを育てよう、勝つだけではなく、地域との関係をしっかり構築して町全体を盛り上げる存在になろうと取り組んでいるので、それをもっと岩手の人に知っていただきたいなという思いがあります。鹿島の事例ですが、サッカーだけではなく、スポーツのクリニックを行ったり、スタジアムを使って地域の事業を行ったりしているんです。岩手でもいわてグルージャ盛岡という存在をひとつの鍵にしていろいろな機会をつくることが町の魅力アップにもつながると思います。」

秋田監督「まさにおっしゃる通りだと思います。コミュニティをつくるということがすごく難しいので、その母体にグルージャがなっていきたいですよね。スポンサーがうちにお金を出すメリットは試合中に看板を出すことやユニフォームに名前を入れることだけじゃなくて、クラブを媒介することで横の関係が広がっていって、クラブとスポンサーだけでなく、スポンサー同士でもビジネスの可能性が広がっていくというのが理想です。」

笠井「岩手は『スポーツはスポーツ」』と閉じてしまっていた傾向があると思います。例えばグルージャ×観光、グルージャ×医療のように他の分野と掛け算ができると思うんです。もちろん、そのためには地域との信頼関係やオープンな姿勢が必要です。実際に会ってコミュニケーションを重ねることや、従来から地域のサッカーを支えてきた方々の意見にも耳を傾けて、一つ一つ丁寧に関係を構築していくことが大切だと思います。」

秋田監督「例えば岩手電力さんであれば契約していればその費用の何%かがグルージャに落ちますですとか、そういうこともありますよね。」

笠井「グルージャが勝った日は電力代が安くなる、みたいなのも面白いですね。」

秋田監督「そういうことになると岩手電力さんがうちのスポンサーになっていただく価値が出てくるし、お互いにwin-winの状況をつくらないと続いていかないですよね。スポンサーだけでなく、地元のサッカー協会、指導者、関係者ともこれまで以上の関係性を築いていくことも重要です。自分がいろいろなメディアに出ながらそこを発信していければいいなと思いますし、岩手県民全員にいわてグルージャ盛岡を知ってもらえるようにできることをやっていきたいと思っています。」

Interviewer&ライター:高橋拓磨

写真:井上健

[プロフィール]
秋田豊(あきた・ゆたか)・愛知県生まれ
愛知高校、愛知学院大学を経て、93年鹿島アントラーズに入団。ポジションはセンターバック。強力なヘディングを武器に鹿島アントラーズの9冠に大きく貢献。1998年、2002年FIFAワールドカップ日本代表。Jリーグ功労選手賞。2007年12月に現役を引退。現在は指導者として活躍している。