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LIGHTS UP IWATE インタビュー

岩手県北上市
水中写真家 高橋怜子さん

生き物と向き合った証に想像を巡らせて

大船渡市の海辺で生まれ育ち、本人曰く、何の変哲もないどこにでもいる少女が、2018 年に日本人初のタイトルを手にしました。沖縄県久米島の海中で撮影した受賞作品「MERMAID」は、ザトウクジラの子どもを後ろから捉えた1枚。子どもながらに刻まれた尾びれの傷は、海を生き抜く様を静かに物語っています。真実味を帯びながら、私たちの感覚に迫ってくる写真。それを撮る高橋さんの人物像とは?その素顔は、写真家然とは程遠いところにいる、軽快な心の持ち主でした。今回、北上市で個展を開いた高橋さんにお話を伺いました。

 

▼「MERMAID」はどんな場面で撮影したものですか?
ずっとクジラの親子に会いたいと思っていて、初めてクジラを見たシチュエーションがこの時でした。私は旅人の一人で、一緒に潜る人も 10 人くらいはいました。そのため、写真にはことごとく人が映ってしまうんです。人がたくさんいる中で、「一体どこにクジラがいるの?」と思ったりしましたが、スイムのコツを掴めるようになってきて、その後に出会えたのが、このクジラの親子でした。写真には写っていませんが、子どもの下には母親がいて、我が子が遊んでいる様子を優しく見守っていました。クジラって神聖な生き物で、私は母親の深い愛情に感動して、水中で泣きそうになりました。

この日は海況が悪くて、10 枚もシャッターを押していなかったと思います。次の日は天気が悪く、船は出ませんでした。結果的に、チャンスは1日だけ。ただ、狙い通りの 1 枚を「MERMAID」と名付け、ナショナルジオグラフィックのコンテストへ応募しましました。その後、「MERMAID」はグランプリを受賞し、私の取り巻く環境は大きく変わりましたが、自分自身は何も変わっていません。

▼高橋さんが水中の写真を撮り始めたきっかけは何だったのでしょうか?
15、16 年前、モルジブという島を旅した時のことです。当時はアクティビティがあまりなくて、1週間ほどの滞在期間中、何もすることがないので、「ダイビングのライセンスでも取ろうか」と思い立ったのが最初のきっかけです。現地でライセンスを取得して、次第にダイビングが趣味になっていきました。

同じ頃に写真も始めました。飼い犬や陸の風景を撮っていましたが、ダイビングでも写真を撮り始めました。もちろん最初はダイビングするだけで精一杯ですが、だんだん水中にのめり込んでいくうちに本格的に撮りたくなってくるもので。私も、もれなくその一人になってしまい、陸で使っていた一眼レフカメラを海に持っていくようになったのが6、7年前です。

 

▼撮り続けるうちに写真家に転向されたのですか?
いや、私は水中写真家になろうと思って、会社を辞めたわけではないんです。本当に好きなところに行って、好きなものをとにかく撮りたいと思っていました。例えば、マチュピチュに行きたいとか、ウユニ塩湖に行きたいとか、誰しもこの地球上で見たい景色はあると思います。その中で、私は水中の何々が見たい……というのが、いっぱい重なっただけです。

でも会社員だったので、長い休みが取れるのは盆、正月、ゴールデンウィークの3回くらいでした。撮りたいものには旬の時期があるので、行きたい時に行けないというフラストレーションが常にあり、それだったら自分が行きたい時に行きたいところに行ってみよう、とことんしたいことをしてみようと思いました。貯金は、なくなったらその時に考えようかなぐらいの勢いで、会社に退職届を出しました。もちろんすぐには辞められなくて、1年くらい経った後の 2017 年の夏に退職しました。

▼今まで長く続けてきたことから離れる怖さはありませんでしたか?
それを考えるとだめなんです。人間は先に色々と考えると、辞められなくなる。でも、私達って、たった半年先のことも正しく予測できないわけですよ。2019 年の時点で、2020 年の世の中がこうなるなんて思いもしなかった。そういう見当もつかない先のことを憂うよりも、とりあえずやってみようと思いました。

「会社を辞めてどうするの?」「世の中甘くない」などと、周りから色々、心配いただきましたが、肉親を含め親しい方達でも、その人は自分じゃない。例えば、思いとどまって、そのままの人生を送り、私が後悔をしても、その方達が責任をとってくれるわけではない。結局は自分で決めなきゃいけないんですよね。退職してからは、行きたいところに片っ端から行きました。日本に帰ってはまた行ってを繰り返して、何十カ国は行きましたね。

▼思い切った決断をされたなと感じますが、どんな子ども時代だったのでしょうか?
うんと小さい頃は体が弱かったのですが、何の特徴もない普通の子でした。将来の夢とか、したいこともありませんでした。高校でソフトボールの同好会を作ったのに、私は活動に行かなくて(笑)「コーチが来なくなるから、ちゃんと来て」と言われて、コーチの車があるのを見計らって行くような子でした(笑)

 

▼水中で写真を撮っている時はどんな気持ちですか?
見たいものを見に行って、それに出会えた時は、もうアドレナリンが爆発しますよね。興奮して、感動もします。生き物ですから、検索してポンと目の前に出てくるわけではなく、もちろん自然相手なので“絶対”というものもなくて。たまに高い確率で会えるものもありますが、会えないものの方が多いですね。それは覚悟の上なので、会えなくても気にしていません。

それと、生物には人間の感情が伝わるので、海の中では生物の気持ちを考えるようにしています。だから、生物に出会ってもすぐには撮らず、ずっとそばで見ているんです。そのうちに撮りたいと思う時がくる。その瞬間が来たら、無心で撮り続けます。

▼撮影で大切にされていることは何ですか。
もともとシャッターの数は多い方ではないのですが、納得してからシャッターを切るようにしています。初めての生物の場合、じっくり観察した後に撮影に入ります。撮りたいイメージが湧いて来るまで見ていて、突然シャッターを切りたくなる瞬間が来ます。撮影している時は無心でいることが多いのですが、おそらく狙いの構図を頭に描いていてそれを狙っているような気がします。私は写真を見るのも撮るのも好きですが、ただ綺麗な写真ではなく、ストーリー性のある写真が好きですね。

 

▼受賞で環境は一変しましたか?
一夜でメールがパンクするほど、世界のバイヤー、雑誌、TV などのアクセスがありました。写真がビジネスに変化するきっかけになりましたね。私の取り巻く環境は一変しましたが、私自身はほとんど変わっていないです。好きなところへ出かけ、好きなものを撮るスタイルです。フリーランスで、どこにも所属もしていませんし。部を作って、自分が行かないような人ですからね(笑)もともと、つるむのが好きじゃなくて、同じ仲間の輪に入ることによる決まりごとなどで、平均化されてしまう感じがして……。凸も凹みもなくなってしまうと面白くないと思うんです。

 

▼最後に子ども達へのメッセージをお願いします。
自分のしたいこと、やりたいことを見つけることかな。スティーブ・ジョブズの「今日が人生最後だとしたら、今日やることは本当にやりたいことだろうか?」という問いのように、自分のしたいこと、やりたいことを常に考えることが重要だと思います。大学生の自分に言いたいです。「バイト代は何に消えているの? 遊んでばかりいないで、海外でも行ってみな」と。「自分は、一人の人間として何がしたいの?」。その答えを探していけるか、見つけられるか。将来、何になりたいではなく、今何がしたいかが将来に結びつくと思います。今漠然として生きていれば、10 年後も漠然としたままなんです。こういうのをやってみたいとか、海外に行ってみたいとかでも、夢は持ってもいいなと思います。

そして親は、子どもが言っていることを「何、馬鹿なこと言っているんじゃないの」と言うのではなくて、できるだけ叶うように応援してあげること。いくら小さくても、一人の人間として親は扱った方がいいと思いますし、子どもも甘えなく、自分の考えをまとめる力をつけた方がいいと思いますね。今は若くして起業している人が出てきているので、小学生の時から自分探しというか、そういう習慣をつけていくことが重要だと思いますね。将来、何になりたいかではなく、何をしたいかですね。

 

▼今、やりたいことが目の前になくても、探し続けることなのでしょうか。
実は、ないことはなくって、そういう訓練をしてこなかっただけだと思います。日本は親が何でもしてくれて、学校も行けばいいので、小さい頃は考えなくてもいい環境ですが、そういう時代は終わりつつあります。人間って有限で、100 歳まで生きる人もいれば、早くに亡くなる方もいる。自分がどれに該当するかなんて分からないので、今、したいことを意識して生きることが重要ですね。例えばゲームであれ、なんであれ、それが好きならとことんやってみればいいと思います。時代はとにかく変わっていっているので、可能性を伸ばしていくことが親の務めだと思います。

[取材をしてみて感じたこと]
同郷出身とはいえ、日本人初のグランプリを手にした方ということで気構えていましたが、展示会場にいらした髙橋さんはこちらが拍子抜けしてしまうほどフランク。徐々に写真のスタンスを教えていただくうちに、その飾らないお人柄も腑に落ちました。髙橋さんが追い求めているものは、真の感動。とてもシンプルに、写真を紡いでいるのだと感じました。「自分は、一人の人間として何がしたいの?」。それから、この問いかけを意識するようになりました。あのクジラの尾びれの傷ように、自分自身の生き様についてを。

Interviewer 菊地(プカリ)、菅原(いわて電力)

 

[プロフィール]
高橋怜子(たかはし・れいこ)・岩手県大船渡市生まれ・山形大学理学部化学科卒
半導体のエンジニアとして勤務する傍ら、趣味でダイビングを始めたのをきっかけに、海洋生物をはじめとした水中写真の撮影を独学で習得。次第にその世界に夢中になり、2017 年8月に会社を退職し、世界各国を撮影で旅する。何気なく応募した 2018 年米国ナショナルジオフォトグラフィック社の写真コンテストで、クジラの後ろ姿を捉えた「MERMAID」が1万3千点を超える応募の中から日本人初のグランプリを受賞。北上市在住。